本場のケバブ
前日の夜、ホテルのマネージャーさんからオススメされたDoy Doyというケバブ屋さんに行ってみたところ、
22時のラストオーダー後で入店できませんでした。
泣く泣く近くの遅くまでやってるお店でケバブを食べました。


今日は満を持してランチタイムにDoy Doyを再訪。


入店してすぐ、釜で次々と大きなパンを焼く光景に感激。


僕らが頼んだのはこちらの二品


トルコ料理は味があまり濃くなくて、トマトベースの味付けが多くてかなり僕らの口に合っています。

あと3日間、毎食ここでもいいななんて思いながら完食しました。

食後は、トルココーヒーと、トルコ風オレンジティーで油を切ります。
ブルーモスクとアヤソフィア
イスタンブール観光の目玉とも言える、二大建築、ブルーモスクとアヤソフィア。
僕らのホテルからは徒歩圏内に位置していました。
トルコらしい、西と東の文化が融合したバザール(市場)でウィンドウショッピングを楽しみながら進みます。
世界遺産「ブルーモスク」
歩くこと10分。

そして、いよいよ世界遺産の「スルタンアフメトモスク」(別名:ブルーモスク)へ到着。

しかし、生憎の





というわけで、外観だけを楽しんで去ることにしました。

世界遺産「アヤソフィア」
真向かいにある、こちらも世界遺産の「アヤソフィア」へ向かいます。



この一年間、世界史を勉強してきたので、
その主役級ともいえるビザンツ帝国とオスマン帝国の覇権を象徴するこの二大建築には、
深く感じ入るものがありました。

世界遺産を訪れたときに、その背景を理解した上で味わいたいという思いから、一年前に始めた世界史学習。

これから行くローマやギリシャなどでは、今回のような感動がまた次々と味わうことができるのかと思うと、今から楽しみでなりません。
せっかく近くに宿があるし、モスクには滞在中また行こうと思います。

アヤソフィアの変遷
アヤソフィアは、元々は4世紀に、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)がキリスト教正教会の総本山として建築しました。
しかし、15世紀にイスタンブール(旧:コンスタンティノープル)が、イスラム教のオスマン帝国に制圧されてからは
イスラム教のモスク(礼拝堂)として利用されてきました。その際に、モスクの象徴とも言える、ミナレット(塔)が周りに建てられたようです。
第一次世界大戦でオスマン帝国が滅んでからは、宗教的利用は禁じられ、博物館として一般開放されています。
したがって、僕たちが訪れた時(19年9月)には博物館だったのですが、
実はこの後裁判が行われ、つい先日、20年7月にイスラム系団体の訴えが認められ
再びモスクとして利用されることになったそうです。
両宗教の狭間で、歴史的にも常に争いの中心となってきたイスタンブール。
アヤソフィアはまさにその象徴と言える存在のようです。
ホテルでのんびり〜ブログ開設〜
昼に食べ過ぎたのか、無性に眠くなってきたので、この日はあまり観光はせず、午後3時くらいにホテルに戻りました。
「また夜にお腹が空いたら観光がてら外に出よう」と思っていたのですが、
結局面倒臭くなってこの後一歩も外に出ませんでした。
ぼくはこの時間を使ってブログをリニューアルしてDay4までを公開できたのが大きな収穫。

なゆちはたっぷり眠ってコンディションを整えられたのが収穫。
夕飯は、イギリス初夜にお世話になったキャサリンからもらったおかし。
これもまたいとをかし。